リヨンでの住まい フランス人大家の日本人女子限定シェア
この家を見つけたのも、仕事と同様にmixiを通してだった。
家のオーナーはアンという65歳のフランス人女性。彼女は離婚後1人暮らしをしていた3LDKを、日本人女性専用に貸し出していたのだ。
家賃は月360ユーロ、共益費や光熱費、wifiなど全て込みで大変お値打ちだった。
場所は中心地からバスで20分くらいのところで少し不便だったが、ここに住む日本人は皆ここから街へと仕事へ出かけていっていた。
この家は私のフランス生活1年間の8箇所暮らした家の中で、最も心落ち着けた場所だった。
南フランス、イエールの孝子さんではないけれど、アンもこの街のことを本当に平和だと教えてくれた。夜中に1人でウォーキングをしても平気だと。
Tassin la demi lune というこの街、住所にはフランス語で“半月”とか、“星座”とかノスタルジックな単語が入る。そんなところがお気に入りだったのだけど、夜になると本当にきれいな星空が観られる。そんなことも気づかないくらい、夜は当たり前に寝静まってしまうところだった。
初めの2週間は、前の日本人の退居の日程を重なり2人が定員のところ私を入れて3人の入居者がいることになったので、アンはリビングを私の寝床として貸してくれた。
アンは、何年も日本語を学んでいて日本に住んでいた事もあり、私のフランス語力よりも遥かに日本語力が高かった。
まさにフランスのお母さん。困ったことがあれば力を貸してくれ、良いことがあれば一緒に喜んでくれる人だった。
そして完全に甘やかすことはなく、人生の先輩としての意見はきちっと伝えてくれる凛とした女性だった。
大家のアン、私を含め日本人女子3人、そして猫が3匹。
不思議なことにここには、パティシエ、料理人、パン屋など飲食関係の人間ばかりが集まった。
猫は癒やしの存在だった。親猫に、生まれたばかりの仔猫が2匹。ただ、1匹の仔猫は引き取られ、もう1匹は車に引かれて死んでしまった。こんな光景を思い出すと切なくなる。
リヨンでは仕事の面でうまくいかないことがあったけど、全てはここで一緒に暮らした人達のやさしさで良い思い出になっている。
1年分の荷物の大半を置かせてもらい、2週間分の荷物だけをバックパックに詰めて、再びパリへと向かった。友人との約束を控えていたからだった。