リヨンの再就職探しの結果
帰国して約半年が経つ今、思い返してもリヨンでは色々なことがあった。
一年分の荷物を抱えてやって来た街で、運よく家も仕事もすぐに見つかったけど、仕事は長く続かなかった。
フランスで働くことの苦労や一瞬の楽しさも経験できたし、日本人同士の確執すら体験した。
そう、異国の地で同業者みんなが仲間ではなく、誰かが一つ仕事を取れば誰かが一つ仕事を失ったようなもの。もちろん力を合わせられることもあるけど、現実は優しいことばかりではなかった。
みんな目の前の生活や、日本から持ってきた夢を守ることに一生懸命で、精一杯なのだ。
10件以上のレストランに履歴書を配り、数件のインターネット求人にメールをしてみたけど、返信はほとんどなかった。
それでも、リヨンの街を歩き回り絶対に仕事を探す、そのために来たんだと自分に言い聞かせて、諦めたくなくて。
そんな中一番の支えになったのは、街の人々のやさしさだった。
地図を見てお店を探す日本人の私を見れば、どこに行くのと声をかけてくれる人がたくさんいた。
目的地を越えてまで一緒に歩いて案内してくれた、ジョギング中のおばさん。素敵なレストランを紹介してくれた元料理人のおじさん。うちでは雇えないけれど、と言いながら何件も知り合いのお店を紹介してくれたオーナーさん。
人のやさしさに触れながら、なんとか続けられた。
そして、突然仕事をぶった切るようにホテルを辞めてしまった私のことを親身になって心配してくれ、そんなに突然君は辞めたのか辞めさせられたのか、他に仕事はあるのかと声をかけてくれたパティシエ。彼は元同僚のお店を紹介すると、一緒に来てくれたこともあった。
自分だったら、そんな風にできるだろうか。日本の社会だったら、そんなことってあるんだろうか。
そう思うことを、平然とやってくれるのがフランス人だった。
大抵のことは、“気にしないでいいよ!” と軽く済ませてしまう。
パーティーで出すデザートが入ったグラスが倒れても、朝番の料理人が昨夜飲みすぎて16時に出勤しても、フランス語を全く理解しない外国人にも。
生きていく上で大切なもの。ある日、フランス人の旦那さんを持つ友人との会話の中で、衝撃的な言葉があった。
「日本にいる間は、素敵だと思う男性は仕事ができるのが当たり前の条件だった。だけど、仕事ができたって人間的に足りてない人はたくさんいる。自分より下の立場の人に必要以上に偉ぶったり、仕事のできない人を邪険にしたり。そんな人が良いなんて思ってたあの頃のことが、今は信じられない。」
仕事より大切なものが、彼らにはきっとはっきりあるのだ。休み時間と遊びを大切にして、仲間や家族、恋人を大切にする。どこかに雇われている社会人である前に一人の人間なのだ。きっとその人となりを、当然のように自らに尊重できるのだ。
仕事仲間としては、驚かされる場面がたくさんあったけど、彼の人としてのやさしさには随分救われた。
それってカルチャーショックのひとつだったんだと思う。
…そんなことを感じながらの再就職探し、そろそろ決めなきゃと本当に焦ったのは、ビザの期限が残り半年に迫ってしまっていたから。
ワーホリでは一般的に、ビザの残りが半年を切ると仕事が探しにくくなると言われている。
どうしよう、これだけアタックしても見つからない。
…そうだ、パリならあるかも!!!!!
滞在期間中の一番の閃きだった(笑)
一晩でインターネット上で3件の面接の約束を取り付け、パリに仕事探しへ向かった。
リヨンで再就職は、叶わなかったのだ。
それでもリヨンが好き。そう思えるのは出会った人のやさしさと、記憶に残るカルチャーショックを経験できたからだと思っている。